「おまけの人生、人の為に生きよう」と決めて・・14年
52才の春、トイレが急に近くなり、食べているにもかかわらず体重が減り、2~3カ月後には急にお腹が膨れてきたNさん。
「コレはおかしい!!」と、病院で検査の結果【卵巣がん】と診断されました。
Nさんは、父親をがんで亡くしていた事もあり、がんという病気を身近に感じていたせいか、体調が悪くなっても『怖くて・・』なかなか病院へ行く事ができなかったそうです。
家族に促され病院へ、そしてがんと診断。
当時の心境は、「ショックだったけど、泣かなかった」と、「自分のことより母親のことが心配で、母親を置いて死ねない」と、思ったそうです。とてもご家族を大切に思われているNさん。母親と弟の想いを知り、「できる事は何でもしよう」と「やらなかった事で後悔したくない」「やらなかった事で家族に後悔をさせたくない」と、辛い抗がん剤治療にも耐え、更に、がんの免疫療法「蓮見ワクチン」を5年間受けられます。かかった費用は500万円。とても高額な費用にもかかわらず母親が支払ってくれたそうです。ご家族にとってのNさんの存在は、とても大きく偉大な存在だったのだと感じました。
がんに罹った後の人生からも、ご家族の絆はとても強く感じられます。
がんの治療で辛かったことは、手術の後、看護婦さんのミスで背中の麻酔が刺さっていなかったため、麻酔なしで痛みを乗り越えたそうです。手術後、すぐに歩くように指導があり(体にはその方がいいらしい)それも想像以上の痛みだったそうです。
そして、ひと月ほど仕事を休み、会社に復帰されました。
Nさんの働いていた会社は、あまりいい労働環境ではありませんでした。
日常生活の中で、会社の存在はとても大きく、理解のない会社だった為、Nさんはとても辛い思いをされました。
治療や検診に行くたび、経営者から嫌味を言われ、嫌がらせを受けたこと。
それでも会社を辞めなかった理由は「縁があったからかな」と、笑って答えたNさん。
がんに罹った事でその後の人生は「おまけの人生」と、人の為に生きようと強く思うようになったとのことです。

それから14年が経ち、今は仕事を辞めて、母親の介護をされています。
父親が残してくれた、父親との思い出がいっぱい詰まった『我が家』で、要介護3の母親の介護をしながら、弟と3人で生活をされています。『我が家』に対する想いが人一倍強くあるNさん。がんで亡くなった父親に対しての想いを話して頂きました。裸一貫で頑張って家族を守ってくれた父親が、Nさんにとって、とても偉大で大きな存在でした。
「もっと、もっと父親孝行したかったのに」「あれほど自分を愛してくれて、あれほど優しい人はいない」「父親が生きていた時は、苦労をした事がなかった。守ってもらっていたことが、その当時の自分は気づかなかった」「父親に親孝行ができなかった事が一番悔やまれる」と、父親にできなかった親孝行を、今、母親にたくさんの親孝行をされています。
母親を介護するNさんをみて・・弟のAさんは「母親はNさんがいて幸せな人だ」と言っているそうです。
なんでも頑張りすぎるNさんは、今は頑張りすぎないようにしていると、それでも毎日、母親の介護に家事等々・・日常の日々をとても頑張られています。今のストレス解消法は、月一回、母親がショートスティに行っている間に行く『昼呑み』だそうです。
どんな逆境にも立ち向かう強さと、自分の事より周りの人の為に尽くす優しさをもっているNさんは、自分とかかわった「人の縁」をとても大切にされる素敵な女性でした。
Nさんからは、たくさんの事を教わり、勇気を頂いています。
お話を聞かせて頂き、ありがとうございました。