「しっかり頼れる介護保険」ご契約
4年前、74歳で亡くなった父親についてお話を聞かせていただきました。
広島県生まれのNさんは4人家族(父・母・妹)で大のプロ野球好き。
大学の時、広島の実家を出て数年後、妹も大阪へ出たため、実家は父と母、夫婦2人の生活でした。
田舎での二人の生活は、几帳面で真面目な父と、おおらかで料理好きな母二人で、大きな病気もなく近所の人達と仲良くのんびりとした生活を過ごされていました。
帰省した際、阪神ファンの父と巨人ファンのNさんで、テレビ観戦しながらお酒を飲み交わしていた父が元気な頃の話を、懐かしく聞かせていただきました。
2013年、(父68歳・母66歳)1年ほど前から父の様子が「少しおかしい」と母より連絡を受けていたNさん。
ある時、父が車を運転中に『ガードレールが近づいてきた』と言って車のボディを擦ったと母より連絡を受けた時、確実に何かおかしいと感じたNさん。
急いで帰省し、父を説得して車の運転をやめさせたそうです。また、この頃に父が紙パンツを常用していることも知りました。
年金生活となってから几帳面な父は、毎日の「散歩の出発・帰宅時間」を記録していました。
病院に行くきっかけとなった一つがその「散歩の記録」でした。同じコースにも関わらず、日に日に時間がかかるようになっていました。近所の方の話によると、散歩中につまづいてはこけるようになっていたそうです。
その後は認知症のような症状や尿失禁、歩行障害が顕著に見られるようになった為、Nさんは父を説得し病院へ検査に行きました。
「正常圧水頭症」と診断されました。
その後、2度の手術をされましたが、アルツハイマー型認知症の症状も併せて出てきたこともあり、病状は改善されませんでした。
認知症の症状は、日によっては大きく違い「病状が改善されたのか」と思える日が何度もあったそうです。
父を助手席に乗せて病院へ向かう途中、英語が得意な父に『英語の問題を出し、答える父を確認する事』で自分の中の不安な気持ちを紛らわせていたそうです。
ある時、父が「だんだん自分が馬鹿になってきよる」といった言葉が、今もずっと忘れられないとの事。
病気がわかってからNさんは月に一度、4~5時間かけて実家に戻る日々が続きました。
母の介護と近所の人の支えで、デイサービスを活用しながら4年が過ぎました。
父に対する母の介護は、体力的にも精神的にも、とても大変な様子でしたが、心折れることもなく献身的なものでした。
2018年に入ったころから急激に父の様子がおかしくなり「手に負えないから」とデイサービスを断られ、4月、精神科に入院が決まりました。
その半年後、誤嚥性肺炎で亡くなられました。
複雑な病状だったことから医師より『脳』の検体を提案され、悩みに悩んだ上で検体を大学病院に依頼した結果、し銀顆粒性認知症ステージ1の可能性が高いことが判明したそうです。
この病気にかかってからは、普段の生活費にプラス毎月7~8万円以上かかったそうです。夫婦の年金だけでは足りない分はNさんが出していたそうです。
こういった経験からアフラックの介護保険に興味をお持ちいただきご契約となりました。